平気で嘘をつく人々 [オピニオン]


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog028.html

■1.あんな事はホラさ■

 元帝国陸軍大尉・向井敏明のもとに警察が訪れたのは、復員後1
年足らずの昭和22年であった。米軍憲兵が彼を捜しているという。
警察は暗に逃亡を進めたが、「自分は悪いことをしていないから、
出頭します」と答えた。

 妻は、虫の知らせで「もしや、百人斬りの事が問題になるので
は?」と聞いたが、向井は「あんな事はホラさ」と、事もなげに言
った。しかし妻の不安は的中し、これが夫婦の最後の会話となった。
向井は南京に連れ去られ、「百人斬り」をした戦争犯罪人として死
刑となったのである。[1,p71]

■2.百人斬り競争!?■

 昭和16年、東京日日新聞(毎日新聞の前身)の浅海記者は、南京
を目指す日本軍を報道する中で、次のような記事を書いた。

百人斬り競争! 両少尉早くも80人 (11.30)

・・・その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二
名の青年将校がある。無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、
一人は二十五人斬りを果たしたといふ。・・・野田少尉は無錫を
距る八キロの無錫部落で敵トーチカに突進し、四名の敵を斬っ
て先陣の名乗りをあげ、これを聞いた向井少尉は奮然起つてそ
の夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を切り伏せ
た。・・・

百人斬り”超記録” 向井106-105野田 
 両少尉さらに延長戦 (12.13)

 野田「おいおれは百五だが貴様は?」 向井「おれは百六
だ!」両少尉は”アハハハ” 結局いつまでにいづれが先に百
人斬つたかこれは不問、結局「ぢゃドロンゲームと致さう。だ
が改めて百五十人はどうぢゃ」

(向井少尉は)「俺の関の孫六が刃こぼれしたのは一人を鉄兜
もろとも唐竹割りにしたからぢや・・・」と飛来する敵弾の中で
百六の生血を吸つた孫六を記者に示した。

■3.自己宣伝とゴマスリのための創作記事■

 山本七平は「私の中の日本軍」で、自らの従軍体験をもとに、こ
れが完全な創作記事であることを、徹底的に暴いて見せた。曰く

 日本刀で3人も斬れば、どんな名刀でも刃こぼれし、刀身は
折れ曲がり、柄ががたがたになる。まして、「鉄兜もろとも唐
竹割り」などということは、木刀でマキを割るのと同様に物理
的に不可能。(従軍した軍刀修理の専門家の著書から)[3,p7
1]

 「鉄兜」などという言葉は軍隊にない。日本軍では「鉄帽」
と言う[3,p96]。また「貴様」は兵隊用語であり、名誉や威厳
にうるさい将校は絶対に使わない。「向井少尉、貴公は」と言
うはずである。[2,p307]

 向井少尉は砲車小隊長であり、野田少尉は部下を持たない大
隊副官である。勝手に砲車や大隊長のそばを離れて、敵陣を襲
ったり、「飛来する敵弾の中で」新聞記者と話をしていたら、
「違命罪」で軍法会議にかけられる。[2,p179,p224]

 山本七平は、このような分析の後に、結局この記事は、浅海記者
が「飛来する敵弾の中で」一生懸命取材していますよ、という自分
の上司に対する自己宣伝と、「お宅の二少尉が日本刀を振りかざし
て駆け出せば、シナ兵の百人や二百人はバッタバッタでございます
よ」[2,p202]という陸軍に対するゴマスリであると結論している。
二人が浅海記者に何を語ったかは分からないが、こういう記者に出
会ってしまったのは、二少尉の一生の不運であった。

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