通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)-日本人皆殺しの地獄絵- [オピニオン]

■通州事件■


■1937年7月29日、北平(北京)東方の通州で中国保安隊による
大規模な日本人虐殺事件が発生した■


女性は強姦されて陰部にほうきを刺されて殺害されている者、喫茶店の女子店員の
生首や乳房がテーブルの上に綺麗にならべられていた、斬首した女性に対する死姦、
腹から腸を出されて殺害されている者、針金で鼻輪を通された子供など、
日本人の平均的倫理観から見て殺され方が極めて異常かつ残虐であったため、
この様子が同盟通信を通じて日本全国に報道されると日本の対支感情は著しく悪化した

■『通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)-日本人皆殺しの地獄絵-』
其の三 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100901/p1
其の四 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100915/p1
其の五 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100929/p1

(衝撃的な内容ですので、気の弱い人は読まないでください)

■『通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)-日本人皆殺しの地獄絵-』■

▲それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。
頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。
このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき
微かに手と足が動いたように見えました。

▲目玉を抉り取ると今度は男の人の服を全部剥ぎ取りお腹が上になるように倒しました。
そして又学生が青竜刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。
縦と横とにお腹を切り裂くと、そのお腹の中から腸を引き出したのです。
ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。
人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。十メートル近くあったかと思いますが、
学生が何か喚いておりましたが、もう私の耳には入りません。

▲そうしているうちに何かワーッという声が聞こえました。ハッと目をあげてみると、
青竜刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。そしてそれだけではありません。
別の学生に引っ張らせた腸をいくつにもいくつにも切るのです。一尺づつぐらい切り刻んだ
学生は細切れの腸を、さっきからじっと見ていた妊婦のところに投げたのです。

▲このお腹に赤ちゃんがいるであろう妊婦は、その自分の主人の腸の一切れが頬にあたると
「ヒーッ」と言って気を失ったのです。その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。
残った腸の細切れを見物していた支那人の方へ二つか三つ投げて来ました。
そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。






▲そのうち日本人の家の中から一人の娘さんが引き出されて来ました。
十五才か十六才と思われる色の白い娘さんでした。
その娘さんを引き出して来たのは学生でした。そして隠れているのを見つけてここに
引き出したと申しております。その娘さんは恐怖のために顔が引きつっております。
体はぶるぶると震えておりました。

▲その娘さんを引き出して来た学生は何か猫が鼠を取ったときのような嬉しそうな顔をしておりました。
そしてすぐ近くにいる保安隊の兵隊に何か話しておりました。
保安隊の兵隊が首を横に振ると学生はニヤリと笑ってこの娘さんを立ったまま平手打ちで五回か六回か
殴りつけました。そしてその着ている服を
いきなりバリバリと破ったのです。支那でも七月と言えば夏です。
暑いです。薄い夏服を着ていた娘さんの服はいとも簡単に破られてしまったのです。

▲すると雪のように白い肌があらわになってまいりました。娘さんが何か一生懸命この学生に言っております。
しかし学生はニヤニヤ笑うだけで娘さんの言うことに耳を傾けようとはしません。
娘さんは手を合わせてこの学生に何か一生懸命懇願しているのです。
学生の側には数名の学生と保安隊の兵隊が集まっていました。そしてその集まった学生達
や保安隊の兵隊達は目をギラギラさせながら、この学生が娘さんに加えている仕打ちを見ているのです。
学生はこの娘さんをいきなり道の側に押し倒しました。
そして下着を取ってしまいました。娘さんは「助けてー」と叫びました。


▲そのときです。一人の日本人の男性がパアッと飛び出して来ました。
そしてこの娘さんの上に覆い被さるように身を投げたのです。恐らくこの娘さんのお父さんだったでしょう。
すると保安隊の兵隊がいきなりこの男の人の頭を銃の台尻で力一杯殴りつけたのです。
何かグシャッというような音が聞こえたように思います。
頭が割られたのです。でもまだこの男の人は娘さんの身体の上から離れようとしません。

▲娘さんの顔にはこのお父さんであろう人の血が一杯流れておりました。この男の人を引き離した
保安隊の兵隊は再び銃で頭を殴りつけました。パーッと辺り一面に何かが飛び散りました。
恐らくこの男の人の脳髄だったろうと思われます。そして二、三人の兵隊と二、三人の学生が
この男の人の身体を蹴りつけたり踏みつけたりしていました。服が破けます。肌が出ます。
血が流れます。そんなことお構いなしに踏んだり蹴ったりし続けています。

▲そのうちに保安隊の兵隊の一人が銃に付けた剣で腹の辺りを突き刺しました。
血がパーッと飛び散ります。その血はその横に気を失ったように倒されている娘さんの身体の上にも飛び散ったのです。
腹を突き刺しただけではまだ足りないと思ったのでしょうか。今度は胸の辺りを又突き刺します。
それだけで終わるかと思っていたら、まだ足りないのでしょう。又腹を突きます。胸を突きます。

▲暴虐無惨と申しましょうか。あの悪虐を言い表す言葉は
ないように思われます。この男の人は多分この娘さんの父親であるだろうが、この屍体を三メートル
程離れたところまで丸太棒を転がすように蹴転がした兵隊と学生達は、この気を失っていると思われる
娘さんのところにやってまいりました


▲この娘さんは既に全裸になされております。
そして恐怖のために動くことが出来ないのです。
その娘さんのところまで来ると下肢を大きく拡げました。
そして陵辱をはじめようとするのです。
支那人とは言へ、沢山の人達が見ている前で人間最低のことをしようというのだから、
これはもう人間のすることとは言えません。

▲ところがこの娘さんは今まで一度もそうした経験がなかったからでしょう。
どうしても陵辱がうまく行かないのです。
すると三人程の学生が拡げられるだけこの下肢を拡げるのです。
そして保安隊の兵隊が持っている銃を持って来てその銃身の先でこの娘さんの陰部の中に突き込むのです。

▲こんな姿を見ながらその近くに何名もの支那人がいるのに止めようともしなければ、声を出す人もおりません。
ただ学生達のこの惨行を黙って見ているだけです。
私とTさんは二十メートルも離れたところに立っていたのでそれからの惨行の仔細を見ることは出来なかったのですが、 と言うよりとても目を開けて見ておることが出来なかったのです。

▲私はTさんの手にしっかりとすがっておりました。 目をしっかりつぶっておりました。
するとギャーッという悲鳴とも叫びとも言えない声が聞こえました。
私は思わずびっくりして目を開きました。
するとどうでしょう。保安隊の兵隊がニタニタ笑いながらこの娘さんの陰部を切り取っているのです。
何ということをするのだろうと私の身体はガタガタと音を立てる程震えました。


【参考書籍】 「天皇さまが泣いてござった」 著者:しらべ かんが 教育社発行 定価1800円





▲当時、天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長で、7月28日の南苑戦闘に参加した後、
30日午後通州に急行して邦人救援に当たった萱島高証人は凡(およ)そ次の如く証言した。
「旭軒(飲食店)では40から17~8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出
したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。
商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き
回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」
 まさになぶり殺しではないか。

▲中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を
務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。
「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙が
かけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされた
らしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。
陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。
帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。
女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。
折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。

▲中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を
務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。
「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙が
かけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされた
らしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。
陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。
帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。
女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。
折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。

▲帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、
闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。
女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。
階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。
1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。
その裏の日本人の家では親子2人が惨殺されていた。子供は手の指を揃(そろ)えて
切断され ていた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置
してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」


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