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ツァラトゥストラはかく語りき  [古典文学]



ツァラトゥストラはかく語りき




「すべての神々は死んでいる。
今こそわれらは超人の誕生を切望する。

……私は君たちに超人を教えよう。

人間は超克されるべきものである。
人間を超克するために君たちはいかなる努力をなしたか?」



「献身の理由を天空の彼方に求めようとせず、
この地上にいつの日か超人の生まれ出る日を期待しつつ、
自身を大地のために捧げようとする人びとを私は愛する。

……今こそ人間は人間自身の目標を樹立すべき時である。
今こそ人間がその至高の希望の種子を播くべき時である。

……兄弟たちよ、私に告げよ、もしも人類にまだ目標がないとするならば、
人類自体もまた、存在するとは言えないのではないか?……」





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閑吟集 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ [古典文学]

閑吟集 小歌

 
 
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ



まじめくさって生きてみたところで何になろう

どうせ、人の一生は夢のようなものだ

好きなように生きよう




 
 
 世間は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさっと 降るよなう



世の中は霰のようなものだ

笹の葉の上に、さらさらと

降っては過ぎる霰のようなものだ






閑吟集

室町後期の歌謡集(1518年に成立)全1巻で編者は未詳、連歌師の宗長(1448~1532)が編集したという説も

室町時代に流行した「小歌(民間の歌で、軽く肩のこらない娯楽的なもの)」「吟詩句(漢詩)」「猿楽(謡曲)」
「狂言歌謡」「放下歌(ほうかうた:「放下」は中世・近世に行われた芸能の一つで、小切子(こきりこ)を打ちながら行う歌舞)」
「早歌(そうか:別名「宴曲」とも言う、鎌倉末期から室町時代にかけて、武家を中心に貴族、僧侶などの間に流行した宴席のうたいもの)」などが収録されている








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わが子は十余に成りぬらん わが子は二十に成りぬらん  梁塵秘抄 [古典文学]

梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑


 
 わが子は十余に成りぬらん 巫してこそ歩くなれ

 田子の浦に汐ふむと 如何に海人集ふらん


 正しとて 問ひみ問はずみ嬲るらん いとをしや
 


 


私の子供はもう十余りの年になったでしょうか
歩き巫女になって、あちらこちらを歩いているようです
田子の浦あたりの海岸を歩けば、漁師達がどっさりと集まることでしょう。
占いが当たったとやら当たらないとやら、さんざん聞きただしてなぶりものにするでしょう。
ああ、かわいそうに








梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑

 
わが子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ 

国々の博党に さすがに子なれば憎かなし

負かいたまふな 王子の住吉西の宮
 

 


私の息子は、もう二十歳になったでしょうか
あちこちを博打を打ちながら流れ歩いているそうです
国々の博打ち仲間と一緒に
それでも自分の子どもですから憎いわけじゃありません
どうか負けさせないでください。王子の神様、住吉西の宮の神様よ。






『梁塵秘抄』

平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集
主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成
記譜はなく、その歌い方も伝承されていないので、歌曲の音楽としての面は不明

成立年代は未詳だが、嘉応元年までに口伝集の大部分が成立していたと思われる
平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており風俗思想史上にも重要な資料である





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梁塵秘抄 恋ひ恋ひて [古典文学]

梁塵秘抄 巻第二 二句神歌

 
  
 恋ひ恋ひて 邂逅に逢ひて寝たる夜の 夢は如何見る 

 さしさしきしとたくとこそみれ 





こいこいて たまさかに あいて ねたるよの ゆめはいかがかみる

さしさしきしとたくとこそみれ



恋しくて恋しくて、その恋しい人とやっと逢えて抱き合った、その夜の夢は何を見よう。
互いの腕と腕を差し交わし、きしりと音がするほど抱きしめあう、そんな夢を見続けていたい









『梁塵秘抄』

平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集
主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成
記譜はなく、その歌い方も伝承されていないので、歌曲の音楽としての面は不明

成立年代は未詳だが、嘉応元年までに口伝集の大部分が成立していたと思われる
平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており風俗思想史上にも重要な資料である




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梁塵秘抄  遊びをせんとや生れけむ  [古典文学]

梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑

 
  
 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
  
 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ
 


 



人は遊ぶために生まれて来たのだろうか
戯れるために生まれて来たのだろうか
無邪気に遊んでいる子供の声を聴いていると
私も子供の様に無邪気に遊びたくなる


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梁塵秘抄 我をたのめて来ぬ男 [古典文学]

梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑

 
 
 我をたのめて来ぬ男
 
 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ
 
 霜雪霰降る水田の鳥となれ さて足冷かれ
   
 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け
 


 



好きだと言い寄ってきたので、その気になったら、来なくなってしまったあの男
あんな男は、角が3本生えた鬼になれ。そして人から嫌われてしまえ
霜や雪や霰が降る凍えた水田に棲む水鳥になってしまえ
そして足が冷たく凍ってしまえばいい
池の水草になってしまえ
そうして頼りなくあっちへゆら、こっちへゆらとのさまよい歩け


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梁塵秘抄 仏は常に在せども  [古典文学]


梁塵秘抄 巻第二 法文歌 佛歌



  『平家物語』の「祗王・祗女」の段で仏御前が歌った今様


 
 仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる
      
 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ 




仏様は人のそばにいつもいらっしゃるけれど、現実の世界では、この眼で見ることは出来ない
しかし、人が寝静まっている暁の夢の中に、ちらりとお姿をお見せになることがある











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幸若舞 「敦盛」 [古典文学]



人間五十年、化天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり


一度(ひとたび)生を受け滅せぬ者の有るべきか








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平家物語 [古典文学]


東国の軍は又親も討たれよ、子も討たれよ。

死ぬれば乗り越え乗り越え戦ふ候。

西国の軍と申すは、親討たれぬれば孝養し、忌明けて寄せ、

子討たれぬれば、其の思ひ歎きに、寄せ候はず。

兵粮米尽きぬれば、春は田作り、秋は刈り収めて寄せ、

夏は熱いと云ひ、冬は寒しと嫌ひ候。

東国はすべて其の儀候はず。

                               『平家物語』


【語約】

東国の武士は、親が討たれ子が討たれても、その屍を乗り越えて戦うものだ。

ところが西国の武士は、親が死ねば供養をし、忌が明けてから攻め寄せる。
子が討たれると歎き悲しんで攻め込んでこない。
兵糧米がなくなれば、春には田を作り、秋には刈り取ってから攻め寄せてくる。
夏は熱い、冬寒いといって戦を嫌う。

東国の武士はこのようなことはない。

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太平記  「俊基東くだり」の段 [古典文学]



落花の雪に踏み迷ふ 片野の春の桜狩り 

紅葉の錦を着て帰る 嵐の山の秋の暮

                                       太平記  「俊基東くだり」の段






またや見ん交野の御野の桜狩り 花の雪散る春の曙         藤原俊成
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