テイク ファイブ [音楽]

The Dave Brubeck Quartet - Take Five (1961)




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神風特別攻撃隊の遺書 [オピニオン]

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謹啓 御両親様には、相変わらず御壮健にて御暮しのことと拝察致します。

小生もいらい至極元気にて軍務に精励いたしております。

今までの御無沙汰致したことをお詫び致します。

本日をもって私もふたたび特攻隊員に編成され出撃致します。

出撃の寸前の暇をみて一筆走らせています。

この世に生をうけていらい十有余年の間の御礼を申し上げます。

沖縄の敵空母にみごと体当りし、君恩に報ずる覚悟であります。

男子の本懐これにすぎるものが他にありましょうか。

護国の花と立派に散華致します。

私は二十歳をもって君子身命をささげます。


お父さん、お母さん泣かないで、決して泣いてはいやです。ほめてやって下さい。

家内そろって何時までもいつまでも御幸福に暮して下さい。

生前の御礼を申上げます。

私の小使いが少しありますから他人に頼んで御送り致します。何かの足しにでもして下さい。

近所の人々、親族、知人に、小学校時代の先生によろしく、妹にも......。


後はお願い致します。では靖国へまいります。


   四月六日午前十一時記す
      神風特別攻撃隊第二御盾隊銀河隊


昭和20年4月7日

海軍一等飛行兵曹 松尾 巧 享年20才

佐賀県出身 乙飛17期








万葉集 防人の歌



 わが母の 袖(そで)もち撫(な)でて

 わが故(から)に 泣きし心を 忘らえぬかも


                                  物部乎刀良(もののべのおとら)



防人として旅立つとき、母が私の袖でを撫でながら泣いていたのを忘れられない










ペリュリュ-島の慰霊碑に刻まれた、米国太平洋艦隊司令長官・ニミッツ元帥の言葉



この島を訪れる諸々の国の旅人達よ

故郷に帰ったらこう伝えてくれ

この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた

その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!



Tourists from every country who visit this island should

be told how courageous and patriotic were the Japanese

soldiers who all died defending this island.

      



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ポールアンカ  ユーアーマイ・デスティニー(邦題「君はわが運命」)  [音楽]

Paul Anka - You Are My Destiny


「君はわが運命」  ポールアンカ









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カーペンターズ Yesterday Once More [音楽]

カーペンターズ Yesterday Once More




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NHKドラマ 「ハゲタカ」 [映画 ドラマ]

NHKドラマ 「ハゲタカ」


日本を買い叩け



























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閑吟集 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ [古典文学]

閑吟集 小歌

 
 
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ



まじめくさって生きてみたところで何になろう

どうせ、人の一生は夢のようなものだ

好きなように生きよう




 
 
 世間は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさっと 降るよなう



世の中は霰のようなものだ

笹の葉の上に、さらさらと

降っては過ぎる霰のようなものだ






閑吟集

室町後期の歌謡集(1518年に成立)全1巻で編者は未詳、連歌師の宗長(1448~1532)が編集したという説も

室町時代に流行した「小歌(民間の歌で、軽く肩のこらない娯楽的なもの)」「吟詩句(漢詩)」「猿楽(謡曲)」
「狂言歌謡」「放下歌(ほうかうた:「放下」は中世・近世に行われた芸能の一つで、小切子(こきりこ)を打ちながら行う歌舞)」
「早歌(そうか:別名「宴曲」とも言う、鎌倉末期から室町時代にかけて、武家を中心に貴族、僧侶などの間に流行した宴席のうたいもの)」などが収録されている








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哀愁のヨーロッパ サンタナ [音楽]

哀愁のヨーロッパ/サンタナ Europa/Santana













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わが母の 袖(そで)もち撫(な)でて   万葉集 防人の歌 [万葉集]

万葉集 防人の歌



 わが母の 袖(そで)もち撫(な)でて

 わが故(から)に 泣きし心を 忘らえぬかも

                                  物部乎刀良(もののべのおとら)



防人として旅立つとき、母が私の袖でを撫でながら泣いていたのを忘れられない




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この島を訪れる諸々の国の旅人達よ [オピニオン]


samurai.jpg





この島を訪れる諸々の国の旅人達よ

故郷に帰ったらこう伝えてくれ

この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた

その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!



Tourists from every country who visit this island should

be told how courageous and patriotic were the Japanese

soldiers who all died defending this island.

      
―ペリュリュ-島の慰霊碑に刻まれた、米国太平洋艦隊司令長官・ニミッツ元帥の言葉―



parao1.jpg






パラオのペリリュー島という小さな島で12000人の日本守備隊は大東亜戦争において兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍の敵に対し、持久戦に持ち込み、全く補給なしに73日間守りとおして死闘の末に玉砕しました。

その戦闘は戦後 ニミッツ提督はその著『太平洋海戦史』の中で、ペリリュー島の戦闘に相当のページをさき、次のように結んでいます。

「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約四〇パーセント〉を甘受しなければならなかった。既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、今もって疑問である」

これほどの激しい戦闘にかかわらず現地住民はひとりも死んではいないのです。ペリリュー島には、それまで現地住民が住んでいました。日本軍としては、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して全員をパラオ本島に退避させました。だから最大激戦地であるペリリュー島において島民の方は一人も死んでいないのです。


















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夜明けのスキャット  由紀さおり [音楽]


夜明けのスキャット



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サントリー オールド  CM [音楽]

サントリー オールド








ワシントン広場の夜は更けて





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大分むぎ焼酎 二階堂 CM 「消えた足跡」 [音楽]

「消えた足跡」





「遠い憧れ」





「文字のかけら」





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いいちこ CM [音楽]

サンクトペテルベルク編






ベニスの運河編






IBIZA ISLAND編






ビリーバンバン また君に恋してる






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坂本冬美 また君に恋してる [音楽]

また君に恋してる










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夏川りみ - 涙そうそう [音楽]

夏川りみ - なだそうそう



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島唄  歌詞に隠された真実の意味 [音楽]




日本というお母さんは難産して母体をそこなったが

生まれた子供はすくすくと育っている。


                                   ククリット・プラモード (元首相)




島唄


歌詞の本当の意味とは














ククリット・プラモード (元首相)


「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。

日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。

今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。

それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。

12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。

更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。

我々この2つの日を忘れてはならない。






ブン・トモ(元情報相)


「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。

一度持った自信は決して崩壊しない。

そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。

そして実は我々の力でやりたかった。」

(昭和32年の来日の際の発言)













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みなみらんぼう 「途上にて」「男と女・昭和編」 [音楽]

みなみらんぼう 「途上にて」






男と女・昭和編 井手せつ子・みなみらんぼう





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ジプシーキングス インスピレーション 鬼平犯科帳の風景 [音楽]

ジプシーキングス インスピレーション







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名月をとってくれろと 小林一茶 [和歌、短歌、俳句]






名月をとってくれろと泣く子かな






小林一茶











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井の中の蛙 [詩]



井の中の蛙

大海を知らず

ただ

大空の深さを知るのみ





井戸の中に住む蛙は、大きな海など知らないが…

しかし、井戸の上に見える大空の深さを知っている…








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わが子は十余に成りぬらん わが子は二十に成りぬらん  梁塵秘抄 [古典文学]

梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑


 
 わが子は十余に成りぬらん 巫してこそ歩くなれ

 田子の浦に汐ふむと 如何に海人集ふらん


 正しとて 問ひみ問はずみ嬲るらん いとをしや
 


 


私の子供はもう十余りの年になったでしょうか
歩き巫女になって、あちらこちらを歩いているようです
田子の浦あたりの海岸を歩けば、漁師達がどっさりと集まることでしょう。
占いが当たったとやら当たらないとやら、さんざん聞きただしてなぶりものにするでしょう。
ああ、かわいそうに








梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑

 
わが子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ 

国々の博党に さすがに子なれば憎かなし

負かいたまふな 王子の住吉西の宮
 

 


私の息子は、もう二十歳になったでしょうか
あちこちを博打を打ちながら流れ歩いているそうです
国々の博打ち仲間と一緒に
それでも自分の子どもですから憎いわけじゃありません
どうか負けさせないでください。王子の神様、住吉西の宮の神様よ。






『梁塵秘抄』

平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集
主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成
記譜はなく、その歌い方も伝承されていないので、歌曲の音楽としての面は不明

成立年代は未詳だが、嘉応元年までに口伝集の大部分が成立していたと思われる
平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており風俗思想史上にも重要な資料である





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